大阪・関西万博2025を振り返ったとき、派手な展示や話題性よりも、
あとから評価されている場所がある。それが「大屋根リング」だ。
世界最大の木造建築かどうかという議論はさておき、
多くの来場者が無意識のうちに立ち止まり、座り、時間を過ごしていた。
なぜ、あの場所には人が長く居られたのか。
本記事では、大屋根リングを「滞在空間」という視点で捉え直し、
人が自然に集まり、疲れを癒やし、流れ続けられる空間の条件を整理する。
そしてその学びを、次の横浜園芸博へどう生かせるのかを考えていく。
「人が長く滞在したくなる屋外空間」の条件
大阪・関西万博2025を振り返ると、
派手な展示や話題性のある出来事以上に、
あとからじわじわ評価されているものがある。
それが 大屋根リングという「滞在空間」 だ。
世界最大の木造建築かどうか、という議論はすでに多く語られてきた。
(※構造そのものの検証はこちら )
しかし、万博が終わった今だからこそ注目したいのは、
「あの場所に、人はなぜ長く居られたのか」
という点だ。
大屋根リングは「見る建築」ではなく、歩き・休み・過ごす空間だった
大屋根リングを訪れた多くの人が、
意識せずにやっていた行動がある。
- 立ち止まる
- 座る
- 待つ
- ぼーっとする
これは展示施設ではなかなか起きない行動だ。
建築としての主張は強くない。
写真映えを狙った造形でもない。
それでも人が自然に滞在していた。
この点は、万博会場全体を振り返ったときに、
かなり重要なヒントを含んでいる。
条件①「目的がなくても居ていい」空間だった
大屋根リングの最大の特徴は、
そこに行く明確な目的がなくても成立していたことだ。
- 展示を見なくていい
- 何かを理解しなくていい
- 感想を持ち帰らなくてもいい
ただ「通り道」として存在しながら、
気づけば滞在している。
多くの万博パビリオンは
「理解してもらう」「体験してもらう」ことを前提にしていた。
一方、大屋根リングは
何もしなくても怒られない場所だった。
この余白が、人を長く引き留めた。
条件②「疲れを前提に設計されていた」
万博は、とにかく歩く。
- 会場が広い
- 並ぶ
- 暑い
- 情報量が多い
この“疲れる前提”を、
大屋根リングは最初から織り込んでいた。
- 日差しを遮る
- 雨を避けられる
- 視界が抜ける
- 座れる場所がある
特別な仕掛けではない。
でも「あるか、ないか」で体験は大きく変わる。
結果として、
万博で一番「ほっとできた場所」
として記憶に残った人も多いはずだ。
条件③「人の流れを止めない滞在」が可能だった
通常、滞在空間は
「立ち止まる=邪魔になる」
という問題を抱えやすい。
だが大屋根リングでは、
- 歩く人
- 休む人
- 待つ人
が自然に共存していた。
これは円環構造による視認性と、
スケールの余裕が生んだ効果だ。
人が溜まっても、
「詰まっている感じ」が出にくい。
この点は、
横浜園芸博のような回遊型イベントにとって
非常に重要な学びになる。
大屋根リングは「評価されにくい成功例」だった
万博全体を
「成功か、失敗か」で語る議論は多い。
(万博全体の総括はこちら )
ただ、大屋根リングの価値は
この二択では測りにくい。
- SNSでバズりにくい
- 写真1枚では伝わらない
- 言語化しづらい
それでも、
確実に体験の質を底上げしていた。
これは「静かな成功」と言っていい。
ミャクミャクとの意外な共通点
公式キャラクターのミャクミャクも、
評価が分かれ続けた存在だった。
(ミャクミャクに関しては詳しくはこちら )
実はこの2つ、共通点がある。
- 一目で分かりやすくない
- 好き嫌いが分かれる
- でも、忘れられない
どちらも
「分かりやすさ」を優先しなかった存在だ。
結果として、
会期後も語られ続けている。
横浜園芸博に生かせる「滞在型イベント設計」のヒント
横浜園芸博は、万博以上に
「歩く」「滞在する」「自然の中で過ごす」
イベントになる。
だからこそ、
- 展示よりも
- 解説よりも
「居ていい空間」をどれだけ用意できるか
が体験の質を左右する。
大屋根リングは、
その答えをかなり静かに示していた。
まとめ
大屋根リングが残した、次の博覧会への宿題
大屋根リングは、
主役ではなかった。
でも、
- 人を休ませ
- 人を流し
- 人を滞在させた
という点で、
万博全体を支えていた。
次の博覧会では、
こうした「目立たない成功」を
どれだけ丁寧に積み重ねられるか。
それが、
横浜園芸博を
「行って良かったイベント」にするかどうかの
分かれ目になるはずだ。