大阪・関西万博2025を振り返って、真っ先に思い出す展示はどこだろうか。
大きな映像や派手な演出のパビリオンを挙げる人も多いだろう。
けれど、万博が終わってしばらく経った今、
ふと頭に浮かぶのは、意外にも静かで目立たなかった展示だったりする。
本記事では、フィンランド館をはじめとする北欧館や中小国パビリオンを中心に、
「その場では派手じゃなかったのに、なぜか記憶に残った展示」を振り返る。
そして、その特徴を次の横浜園芸博にどう活かせるのかを考えていく。

万博で「あとから効いてくる体験」は何が違ったのか
大阪・関西万博2025を振り返ると、
「すごかった展示」はいくつも思い出せる。
大きな映像、没入型演出、最新技術。
その場では確かに圧倒された。
ただ、万博が終わって時間が経った今、
ふと頭に浮かぶ展示は、必ずしも一番派手だった場所ではない。
この記事では、
**実際に“あとから思い出されやすかったパビリオン”と、
“その場で強烈だったが記憶が完結しやすかったパビリオン”**を対比しながら、
その違いを整理していく。

あとから思い出される展示に多かったパビリオン
北欧館のフィンランド
「説明されない静けさ」が残った展示
フィンランドは、
万博全体の中でもかなり静かな部類だった。
- 強い演出音がない
- 映像で畳みかけてこない
- 情報量が最小限
その代わり、
素材感、光、間の取り方が非常に丁寧だった。
「何を学んだか」と聞かれると答えづらい。
でも、
あの空気は何だったんだろう
と、後から思い返す余地が残る。
これは、
展示が“体験を完結させなかった”ことの強さでもある。

バルト館
「主張しない展示」が結果的に残った
フィンランドに限らず、
- デンマーク(北欧館)
- リトアニア(バルト館)
- ラトビア(バルト館)
など、北欧・バルト圏の展示は共通して、
- 押し付けない
- 説明しすぎない
- 立ち止まっても通り抜けても成立する
という設計が多かった。
派手さでは埋もれがちだったが、
記憶の中では意外と消えなかった。

一部の中小国パビリオン(コモンズ)
「国の空気」を感じさせた展示
大規模な演出が難しい国ほど、
- 音楽
- 香り
- 映像1点勝負
など、要素を絞っていた。
結果として、
あの国、どんな雰囲気だったっけ?
と、万博後に話題にしやすい展示になっていた。

その場では圧倒的に「派手」だったパビリオン
アメリカ館
完成度は高いが、体験が“完結”していた
アメリカ館は、
- 映像演出
- ストーリー構成
- スケール感
すべてが高水準だった。
ただし、
- 見終わった瞬間に「満足」してしまう
- 余白が少ない
- 考える前に次へ進む
という構造でもあった。
これは決して悪いことではないが、
体験がその場で完結しやすい。

中国館
圧倒されるが、情報量が多すぎた
中国館は、
- 圧倒的なスケール
- 映像と展示の密度
- 明確なメッセージ
で強烈な印象を残した。
一方で、
- 見る
- 理解する
- 受け取る
という工程が忙しく、
万博全体の中では「処理する展示」になりやすかった。

日本館
「正解を理解する展示」だった
日本館は非常に丁寧で、
テーマも明確だった。
ただ、
- 理解することがゴール
- 見終わると一区切りつく
という構造が強く、
考え続ける余地は少なめだった印象がある。
(日本館の評価は別記事で詳述予定)
なぜ派手な展示ほど記憶が完結しやすいのか
派手な展示は、
- 体験のピークが明確
- ゴールが分かりやすい
- 「見た感」が強い
そのため、
あれはすごかった
で思考が止まりやすい。
一方、印象に残った展示は、
- 何だったか言語化しづらい
- 完全に理解できた感がない
- 少し引っかかりが残る
この未完了感が、
記憶を長持ちさせていた。
歩きやすさ・滞在空間とも深くつながっていた
印象に残った展示の多くは、
- 並ばなくても見られる
- 人の流れを邪魔しない
- 立ち止まる余白がある
という特徴を持っていた。
これは、
会場全体の歩行体験とも直結する。
(関連記事)
万博会場は歩きやすかったのか?夢洲で分かった動線の差
また、空間として心地よかった場所と、
印象に残る展示は重なっていた。
(参考記事)
大屋根リングから学ぶ、人が長く滞在したくなる空間設計

横浜園芸博でこそ活きる展示の方向性
横浜園芸博は、
- 植物
- 風景
- 季節
といった、
もともと派手でない要素が主役になる。
だからこそ、
- 説明しすぎない
- 眺めるだけでも成立する
- 余白を残す
という、
大阪・関西万博で“静かに評価された展示”の考え方は、
そのまま応用できる。
まとめ
「すごかった展示」より「残った展示」
大阪・関西万博2025は、
技術的にも演出的にも、非常にレベルの高い展示が多かった。
それでも、
時間が経って残ったのは、
派手さより、余白のある展示
だった。
次の横浜園芸博では、
この“あとから効いてくる体験”が、
より多くの人に届く形で生かされることを期待したい。