大阪・関西万博2025を振り返ると、多くの来場者が口にした感想がある。
「とにかく歩いた」というものだ。
ただ、会場が広かったことと、歩きにくかったことは必ずしも同じではない。
実際の夢洲会場には、驚くほど楽に歩けた場所と、急に疲れを感じた瞬間がはっきり存在していた。
本記事では、大阪・関西万博の会場を「歩きやすさ」という人間目線で捉え直し、
動線設計や空間の使われ方が来場体験にどう影響していたのかを整理する。
そして、その気づきを次の横浜園芸博にどう生かせるのかを考えていく。

歩きやすさは「距離」ではなく「体感」で決まる
万博会場の歩行距離は、数字で見ればかなり長い。
しかし実際に歩いてみると、不思議なことが起きていた。
同じくらいの距離でも、
- あっという間に感じるルート
- いつまでも続くように感じるルート
が、はっきり分かれていたのだ。
この差を生んでいたのは、距離そのものではなく、
歩いているときの体感=空間のつくられ方だった。

歩きやすかった会場動線①
視界が抜け、行き先が想像できたルート
夢洲会場で特に歩きやすく感じたのは、
- 見通しがよい
- 次にどこへ向かうかが自然に分かる
- 圧迫感がない
こうした条件がそろった動線だった。
大屋根リング周辺や、開けた回遊ルートでは、
「まだ歩ける」「もう少し行ってみよう」という気持ちが自然に生まれていた。
これは、大屋根リングが単なる建築ではなく、
歩行体験を下支えする空間として機能していたからでもある。
(構造そのものの検証はこちら)

歩きやすかった会場動線②
立ち止まっても許される「余白」があった
もうひとつ重要だったのが、
立ち止まることを前提にした余白の存在だ。
- 地図を確認する
- 写真を撮る
- 待ち合わせをする
こうした行動が、無理なくできる場所では、
歩くこと自体がストレスになりにくい。
逆に、
「止まる=邪魔になる」
と感じる場所では、無意識の緊張が続き、疲れやすくなる。

歩きにくさを感じた瞬間①
人が集中する“目的地直前”のエリア
歩きにくさを感じたのは、主に、
- 人気パビリオンの直前
- イベント開始前後
- 動線が急に細くなる場所
だった。
これらの場所では、
- 歩く人
- 並ぶ人
- 待つ人
という異なる行動が同時に起こり、
人の流れが一気に乱れる。
これは設計の失敗というより、
人気が生んだ集中の副作用と言えるだろう。

歩きにくさを生んだもう一つの要因
情報量が多すぎる空間
夢洲会場では、
- 看板
- 映像
- 音
- アナウンス
が一気に押し寄せる場所もあった。
こうした空間では、足は止まっていなくても、
脳が先に疲れてしまう。
結果として、
「あまり歩いていないのに、もうしんどい」
という感覚につながっていた。

歩行体験は、万博全体の評価を静かに左右していた
大阪・関西万博を
「成功か、失敗か」で語る声は多い。
(総括はこちら)
ただ、実際の満足度を左右していたのは、
派手な展示以上に、
- 無理なく歩けたか
- 途中で休めたか
- もう少し回ろうと思えたか
といった、地味だが重要な要素だった。
歩きやすい会場では、
「ついでにもう一か所」が生まれる。
歩きにくい会場では、
「もう帰ろう」が早くなる。

キャラクター体験とも無関係ではなかった
ミャクミャクのような象徴的存在も、
実は歩行体験と深く関係していた。
人が自然に集まり、写真を撮り、立ち止まる。
その周囲に余白があるかどうかで、
場の印象は大きく変わる。
(ミャクミャク考察はこちら)

横浜園芸博に生かせる「歩行体験設計」のヒント
横浜園芸博は、
- 屋外中心
- 植物と景観が主役
- ゆっくり歩くこと自体が体験
になるイベントだ。
だからこそ、
- 行き先が見える
- 立ち止まれる
- 疲れたら自然に休める
こうした基本が、想像以上に重要になる。
夢洲万博から得られた最大の学びは、
「歩ける会場は、それだけで評価が上がる」
という、とてもシンプルな事実だった。
まとめ
歩きやすさは、次の博覧会への期待を支える要素だった
大阪・関西万博2025は、歩行距離の長いイベントだった。
それでも、
- 楽に歩けた場所
- 急に疲れた瞬間
がはっきり分かれたことで、
「良い会場設計」の輪郭が見えてきた。
次の横浜園芸博では、
展示や話題性だけでなく、
人が無理なく歩き続けられるか
この一点が、
「行ってよかった」と感じられる体験を
静かに支えるはずだ。